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Title: 香港広東語の研究 ―語彙と言語文化を中心に―
Authors: 千島, 英一
Chishima, Eiichi
Date of Issue: 22-Mar-2007
Publisher: 金沢大学大学院社会環境研究科
Citation: 金沢大学大学院社会環境研究科博士論文, 505p.
Abstract: The purpose of this paper is to consider synthetically the rapidly changing vocabulary, language and culture of Hong Kong Cantonese developed in the community of Hong Kong, which has a marked difference from the other regions in China. This paper consists of six parts, which have the following contents: In Part One, as an introduction, we clarify our purpose in carrying out the research and survey of the precedent studies on this academic field. Part Two, we analyze “Cantonese words which signify ‘holding without letting go,’” and categorise Cantonese verbs in terms of their aspects. In Part Three we compare “proverbs and their background in the Canton cultural sphere” with Japanese counterparts, and analyze kinship terminology in Hong Kong Cantonese, using native informant questionnaire. Then in Part Five we analyze loanwords from Japanese, which are thought to be now one of the most significant elements of the Hong Kong Catonese, and consider reformation of its vocabulary. Finally, in Part Six, we look back into the change of Hong Kong Cantonese both before and after the turn of the century and discuss the future of the language.
中国に、共通語(普通話)の普及と規範化を目的にした基本辞書に『现代汉语词典』がある。1978年に第1版が出版された後、これまで数度の改版が行われ、2005年6月に第5版が出版された。この第5版で注目を集めたのが、時宜に合わなくなった語に代わって、新たに大量に採録された広東語語彙であった。“写字楼”(オフィスビル)、“置业”(不動産を買う)、“楼市”(不動産市場)といった広東語の経済用語が、中国経済の改革・開放と軌を一にするように、そのまま共通語に組み込まれたのである。周知のように、中国では千数百年来ずっと北方方言が支配的地位にあり、こうしたいわば南方からの「逆行現象」は、中国の言語文化の多元化へと向かう変化を象徴するものであると言えよう。こうしたことから、近年、中国語の言語文化研究においても、広東語を含む中国語諸方言についての研究がますます重視されるようになってきており、研究方法や研究対象も多様化している。しかしながら、その多くは平面的な対照研究レベルにとどまり、その方言語彙が持つ内在的意味の分析といったことまでの研究は、いまだ十分になされているとは言えない状況である。そこで本稿は、香港広東語というきわめて複雑に織り成された重層構造にある言語を立体的に記述すべく、その構成要素の重要な部分となるパーツを選び出し、意味の分析を中心に据え、以下のような構成で議論を行った。なお、香港広東語としたのは、筆者が長年フィールド調査を行った地であり、本稿で用いたインフォーマント及び言語資料も主として香港で話されている広東語が基になっているからである。 本稿の構成は、全部で六部構成となっている。第一部においては研究の目的および視点を明らかにし、さらには香港広東語概論とともに国内外の先行研究などを述べる「序論」とし、併せて千島式広東語ローマ字発音表記システムの考案に至る経緯およびその評価などについて記述した。 第二部は、いわば本稿の中核をなすもので、<広東語の「手放さずに持つ動作」を表す語について>と題し、従来、広東語のXは普通話のYにあたるといった説明しかなかったこれらの語に対する意味分析を行なった。すなわち、日本語に「持つ」「とる」「にぎる」「さげる」「ぶらさげる」「背負う」「おんぶする」「抱く」「抱っこする」といった「手放さずに持つ動作」を表す、意味的に相互に関連の深い複数の語があるように、広東語にも同様の“”zha1、“”lo2、“拎”(擰)ning1(ling1)、“搦”nik1/lik1、“挽”waan5、“抽”chau1、“抱”pou5、“攬”laam2、“擔”daam1、“捧”pung2、“托”tok3、“抬”toi4、“孭”me1……といった一群の語彙があり、こうした意味的に類似し単用されている複数の語を、主として映画やアニメーションあるいは漫画といった画像データがある例文から抽出し、それぞれの語がどのように「手放さずに持つ動作」をさしあらわしたり、さしとらえているかを明らかにし、それぞれの意味の違いを分析した。画像データがある例文から分析したのは、直感に頼ることのできない広東語ノン・ネイティブとしては、客体に働きかけて保持・運搬する動作を示す語を分析する場合に、きわめて有効な方法であると考えたからである。また、あわせて日本語との対照も行い、例えば“”zha1がさしあらわす「手放さずに持つ動作」は日本語の「ニギリ・モツ動作」に対応し、“”lo2がさしあらわす「手放さずに持つ動作」は①「他人の所有物を自分の所有物とする」(=獲得)、②「それまであった場所から別のところへ移す」(=離脱あるいは除去)、③「道具を手にして仕事をする」動作に用いられ、“拎”(擰)ning1(ling1)がさしあらわす「手放さずに持つ動作」は、①「他人の所有物を自分の所有物とする」(=獲得)、②「それまであった場所から別のところへ移す」(=離脱あるいは除去)と、“”lo2がさしあらわす「手放さずに持つ動作」に類似するが、“”lo2の持つ「道具を手にして仕事をする」動作には用いられない、といったことなどを明らかにした。 さらには、第二部の結語に代えて「アスペクトから見た広東語の動詞分類」を行った。管見の限りでは、アスペクトから見た広東語の動詞分類は、これまで十分になされてきてはおらず、そこで本稿ではSmith,C.S 1994の枠組みを応用し、広東語の動詞類型を①States(状態動詞)、②Activities(活動動詞)、③Accomplishments(完結/変化動詞)、④Achievements(達成/完成動詞)に4分類し、それぞれが独自に有している文法形式の特徴を明らかにし、この4類型の根本的な差異についての分析し、併せて広東語の「手放さずに持つ動作」を表す語の帰属先を明らかにした。 第三部は「広東語圏で用いられていることわざと文化」について、筆者が収集した広東語ことわざ735句の主題及び素材となっている語彙について分析し、レトリックが成立する背景などについて考察した。「ことわざ」を選んだ理由は、語彙研究においてことわざはともすると欠落もしくは無視されている現状があるからである。すなわち、日本語の語彙研究にあってもしばしば利用・引用されている国立国語研究所編『分類語彙表』も、「ことわざ」についてはすっぽり抜け落ちている。したがってその語彙研究も主に単語の意味分析あるいは語彙的カテゴリーの分類といった分野に終始することになる。広東語の語彙研究においても同様な側面があり、従来、広東語のことわざに対する研究は非常に乏しい状況であったからである。本稿では、先ず、ことわざの定義を行い、広東語圏の固有の歴史と文化を背負った慣用表現である広東語のことわざを、日本語のことわざとも対照しながら、主題別、言語素材別に統計処理をし、あわせて背景理解のための説明を加えた。また、ことわざの理解には、ことばのレトリックを生じさせる条件(=文化情報)を抜きにしては理解がいかないことから、広東語ことわざのレトリックが成立する要因となった言語素材の代表的ないくつかを選び、その概念体系について分析を加えた。 第四部は、「語彙体系としての香港広東語の親族名称」と題し、香港広東語の親族語彙について分析した。親族語彙は、「語の結合関係がはっきり見通せるところから語彙体系を説明するのに好都合な、いい例としてよく引き合いに出される」(柴田武1988.『語彙論の方法』.三省堂,p.69)という理由もあり、また、香港広東語にあってはいまだ十分な研究がなされていないからでもある。インフォーマントによる調査の結果、本稿では、香港広東語の親族名称の規則性を明らかにし、英語名がある場合については、何でも英語のルールが適用されるわけではないことを指摘した。また柴田武1988が、E.A.Nidaの示した三つの親族名称を区分している条件(componential features)だけでは、日本語などでは不十分であるとして、あらゆる親族名称は同論文で示した「五つまたは十の条件の一つまたは二つ以上によって区別されているはずである」(同上、p.315)とした条件に、香港広東語を含む漢語の場合には、さらに“排行”という同族中の同世代間における長幼の順序という条件を加味しなくてはならないことなどを指摘した。 第五部は、従来あまり研究されてこなかった香港広東語語彙の構成要素としての日本語語彙についての研究である。すなわち、これまでの広東語の外来借用語の研究は、圧倒的に英語語彙が主であり、同じく漢字語を用いる日本語語彙からの研究は寥々たるものであった。そこで本稿では、調査データを近年続々と刊行された各種広東語(粤語)辞典に求め、まず、日・広同形語を抽出し、特に同形異義語について対照意味分析を行って意味の違いを明らかにした。例えば、広東語の“霸道”ba3dou6という語は、“呢種藥好霸道。”(この薬はとても強い)といった使われ方し、その意味するところは「酒や薬効がきつい。強い」ということであり、日本語の「覇道」にはこうした意味はない。また日本語の「車座」は「大勢が輪になって坐ること」を意味するが、広東語の“車座”che1zho6は「車の座席。シート」を意味し、日本語の「大勢が輪になって坐ること」という意味はない。本稿ではこうした日・広同形異義語について、広東語の例文を挙げて分析を進めた。 次いで、1980年代から香港のマスメディア等においてその使用が目立ってきた「和風広東語」について調査した。調査の基となったのは、前述した中国及び香港等で出版された各種広東語(粤語)辞典であり、それらに収録されている日本語来源の語彙と思われる語を1つ1つ取り出し、採録された語と採録されていない語について分野別に調査した。 また、その第3章において、広東語ではよく見られる現象である「同音衝突」回避のための声調交替を行い、新たな言語変種を生じさせるという言語変化に加えて、同じく漢字語を用いる日本語からの借用では、「同字衝突」の回避による語彙のリフォーミングもあることについて議論した。すなわち、香港広東語に受容された日本語借詞(借用語)は、一般に、①漢字形態素を持つものであればそのまま日本語語彙の語形式と語義を借用した(形義借詞)と、②漢字形態素を持たないものであれば、広東語音に基づき適当な漢字を当てて音訳する、という2つのパターンに分かれる。しかし、日本語の「煎餅」(せんべい)の受容にあっては、香港広東語語彙中に“煎餅”という米菓とは異なる中国の食品が存在することから、そのまま受容すれば「同字衝突」を引き起こすこととなる。その結果、“燒米餅”siu1mai5beng5という新たな語を生み出し、「同字衝突」の回避による語彙のリフォーミングが行われたのである。従来の広東語語彙のリフォーミングの議論は、香港広東語語彙中に大量に存在する英語語彙を主とするものであったが、上述したように、同じ漢字語を用いる日本語から受容された語彙にも存在することを明らかにした。 最後に、「香港広東語論」と題した第六部では、まず近100年間の広東語音の変遷をたどってみた。広東語には、その数は多くないものの、19世紀末から20世紀初頭にかけて、信頼できる記述がなされた著作が出版されている。その1つにJ.Dyer Ball(以下、Ballと略称する)の一連の著書がある。ということから、Ballの約100年まえの記述と現代の香港広東語音とを比較することによって、この間の音韻変化を明らかにすることが可能であることから、本稿では、筆者がこれまで行なってきたインフォーマント調査による成果や、先行研究を交えながら議論を進めた。その結果、世紀を跨いだ香港広東語音の変化が鮮明に浮かび上がってきたが、香港の若者世代を中心とした“懶音”(口をはっきりと大きくあけずにもぐもぐと喋る)現象は現に進行中のことであり、さらに大規模な音韻変化を引き起こす可能性がある。 また、こうした変化は香港広東語の弱い規範性に求めることができ、語彙、語法といった言語事象のあらゆる面に及んでいる。とりわけ150年間に渡る英語支配は、コードミキシング(Code-mixing)という形で頻繁に表れ、本家である広州の広東語とはますます乖離しているが、1997年7月の中国回帰は、急速に増加している大陸からの観光客の増加とともに、普通話の影響も垣間見えるようにもなってきている。本稿では、こうした事象の1つ1つについて言及し、香港という中国の他地域とはあきらかに違う共同体の中で育まれてきた言語の今後の展望を交えながら議論を行い、本稿のまとめとした。
Description: 取得学位:博士(文学),授与番号:博乙第20号,授与年月日:2007年3月22日,授与大学:金沢大学, 論文主査:大瀧幸子
URI: http://hdl.handle.net/2297/3821
Type: Thesis or Dissertation
Appears in Collections:2007年

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